気が付きたい話

気が付きたい話|読書・メンタル

みなさん、ハッピー令和〜!!KM-Ruあ(けむるあ)です。
令和初の記事になります!新元号でもよろしくお願いします。

さて、私の令和初日は平成最後の日より我が家に泊めていた友人を駅に送り届けることから
始まりました。
見送りが終わり、帰ろうと思いましたが時間も早かったので、
久々に駅前の図書館に行くことにしました。
図書館の奥の方、工学やファッションのコーナーを眺めていると、
一番下の段に「ゲーム」関連と思しき分類の本がありました。
そこで目に留まったのがこちらの本

エンターテインメントという薬
-光を失う少年にゲームクリエイターが届けたもの-
 

(松山洋 著)

著者の松山洋さんはゲーム開発会社「サイバーコネクトツー」の代表をされています。
なぜこの本が私の目に留まったかというと、元々私はこのゲーム会社の大ファンなのです。
およそ10年前にテレビアニメの「.hack」シリーズを偶然見かけてからというもの、
どっぷりとハマってしまいその後発売されるゲームを追いかけたり過去の作品もプレイしたり
しておりました。
またこの松山さんが名物社長でして、表に出られることが多く、ゲームへの思い入れや
作品作りへ対する姿勢・情熱などに感銘を受けておりました。
間違いなく自分の人生へ影響を与えたゲーム、人物なのです。

しかし会社勤めになってから私はあまりゲームをすることもなく生活を送っていました。
まさか、新元号初日に 偶然 しかも地元の図書館で、意図せずこの本に出会った。
これは何か意味がある。運命としか思えません。
私はすぐに座席へ本を持ち込み、時折涙を滲ませながらもこの本を読みました。

作ることの意味

クリエイターないし何かしらの「もの」を作る人が一度は考えたことがあると思われること
「なんのために作っているんだろう」
この疑問に対してのヒントがこの本には含まれています。
詳しい内容は読んでくださいということで割愛しますが、
この本に登場する少年は3週間後に眼球を全摘出して全盲になることが決まっていました。
そこで最後にもし叶うならば「“.hack”の最新作をプレイしたい」という願いが
松山さんに届くというお話です。(ノンフィクション)

誰かの何かになっているかもしれない

私自身、昔から映像だったりイラストだったり作品を作り続けてきました。
作っている途中で壁にぶつかったりすると、ふと
「この作品を作っていて何か意味があるのだろうか」
という疑問が襲ってくるときがありました。
特に学生時代は、今やっている「デザイン」とは違い
研究色の強いものを制作しておりましたので、
「作る意味」がわからなくなってしまっていました。
でも、今なら言えます。

公開した時点で、必ず、誰かの何かになっています。

我々は影響し合って生きている

人間は社会的動物なので、必ず触れたものに影響されて生きています。
自分の感性や価値観、それら全てが今まで影響されてきたもので形成されます。
作品が人に見られたとき、見た人はそこで何かしら思うかもしれません。
「綺麗だな」かもしれないし「なんだこれクソじゃん」かもしれない。
「クソじゃん」でも良いと思うのです私は。
なぜその作品が「クソ」だと思ったかが、その人の仕事に活かされるかもしれない。
もしくはその人が何かとても苦しんでいて、それを一瞬でも忘れる材料になったかもしれない。

少しでも、自分以外の誰かの人生に触れられること。
それはとても素敵なことではありませんか?

一つでも多くの影響に気が付きたい

我々は何か動くだけで影響を与え合う、そのことにこの本は気付かせてくれました。
物を買えば売り上げが「1」増えるし、外を歩けば見かけた人の風景の一部になる。
自分が作った作品が何かしらの反応を発生させる。
反対に、自分も触れたあらゆるものに影響を受けてきた結果に今がある。
私は今の人格を形成するに至ったその膨大な情報と感性にどれだけ支えられられて
来たかに気が付きたいと、そう思いました。

意味なんかなくてもいいよ

「作る意味」に対する私の答えはこれです。
「意味なんてなくていい」
例え自分が物凄くよく考えてハッキリした意図を持ち完成させた作品であっても
見る人によって受け取り方は変わります。
各々、今まで受けてきた影響を軸に新たな影響を受けてアップデートするわけですから、
みんな勝手に意味を見出します。
なのでもっと自由に作りたいように作っていきましょう。

最後に

この記事を書いているときに、
昔教授に言われてから心の支えにしている言葉を思い返しました。
「こんなに泣きながら苦しみながらも作品と向き合おうとする貴方達はすごい。
そんなことなかなか出来るものじゃないのだから、自信を持ちなさい」

要約するとこのような言葉でした。
迷走が深刻な状態になった私たちを見かねて教授は言ったのかもしれませんが、
この言葉は今でも私の大きな支えになっています。

どこで何が意味を与えるのかなんて分からないのです。
最近、無意味感が大きくなって、あまり作品を作ることがなくなってしまいましたが
以上のことに気が付いて、気力が湧いてきました。
私は作ることだけは辞めたくないです。

この記事が誰かに少しでも何かしらの影響を与えられることを願って。
それではまた次回。